2023/10/03〜2023/10/09

2023/10/03(火)
このところ朝晩の気温の下がり方が著しい。いつもこの季節になると必ず思い出す自分の日記がある。2019年10月9日の日記。以下転載。
" 薄暮に沈む山々の稜線を眺めると、胸が苦しくなる。対向車線の車のヘッドライトがやけに眩しくて思わず顔を背けてしまう。何も悪いことはしていない。それなのに、過ぎ去ってゆく季節に負い目を感じるのはなぜだろう。"

 

2023/10/04(水)
まだ水曜日か、と思う。帰りの電車で『動きすぎてはいけない』。なんとか第3章まで辿り着いたが何が何だか分からなくなってきた。とにかく読み進むしかない。時折おっ、と思うようなフレーズや言い回しが出てきたらドッグイヤーをつけるが、もはや詩を読むように読んでいる節がある。家に帰って、長文のLINEに長文の返事を書き、事務的なメールに返信し、その他諸々当たり障りのない返事を返し、日記を2日分書いたら疲れてしまった。

 

2023/10/05(木)
帰りの電車で『中動態』。バンヴェニストによれば「存在する」や「生きる」という動詞は能動態に分類される(主体の外で完結する語)らしい。
"「在る(存在する)」は、インド=ヨーロッパ語では、「行く」や「流れる」と同様、主体の関与が必要とはされない過程なのである」"
寒くて寂しくて心がちぎれそう、と思いながら夜の道を帰った。

 

2023/10/06(金)
コンビニで久しぶりにホットスナックを買って食べた。背徳の味。

 

2023/10/07(土)
外でライブを観た。外に行くのは初めてで、どこからかいい匂いがして照明がミニマルでかっこよく、噂に違わぬ空間だった。Miki Yuiが素晴らしかった。身体の輪郭が曖昧になって、耳と大脳だけがその形を保って残り続けるような夜。ピッチの微妙なズレが重なり合うことで生まれるうなり、そう言えば音って波だったな、オシロスコープのサイン波の緑の光を思い出していた。

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2023/10/08(日)
天気が良くない。気圧で押し潰されそう。いくらか気持ちが滅入る、暗く悲しい気持ちで起きる。梶谷いこさんの当用雑記が更新されてうれしい。この部分を読んで、本当にそう、いまにも涙がこぼれそう、といった状況になって慌てた。いつまで親の影を意識しなきゃいけないんだろうと思う。でも、最近になってやっとそこから抜け出す糸口のようなものの断片が掴めてきたような気がする。まだ、気がするだけ。

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2023/10/09(月・祝)
水筒にあったかいお茶を入れて最近のお気に入りの読書スポット(川)で本を読む。「流れる」ということが眼前で常に起こり続けている状態の気持ち良さ。昨日の雨で水量がやや多い。目の前を鷺が狩りをしながら悠然と横切っていく。
夕方、磔磔で片想いのライブを観た。初めての磔磔、初めての片想い。僕が泣いてる理由なんてわからないだろうと歌う、2023年の僕たちは泣いたり笑ったりたくましく生きているよと歌う。