2024/05/05~2024/06/12

2024/05/05(日)

昼過ぎに西陣まで自転車を走らせる。日差しが強いがそこまで不快感もなく、すっかり初夏だ。
余波舎で書棚をじりじりと眺める。新刊の棚ももちろんだけれど、古本の棚も、おっ、なるようなセレクションでひたすら舐めるように視線を走らせる。会計の時に、前も来てくださった方ですよね、と声をかけられしばらく本の話や映画の話をする。濱口竜介の話になり、よかったら『PASSION』のDVD貸しますよとのこと。ありがたい。
近くのカフェに入って3時間くらい読書。千葉雅也『センスの哲学』をほとんど読み終える。アマチュアと呼ばれる人、あるいはそう自認している人はみんな読んだ方がいいと思った。と同時に、芸術や制作、広く〈もの〉を作ることを仕事にしている人たちはこの本を読んで何を思うのかがものすごく気になった。いいからやれ、ということをきわめて丁寧に、優しく論じてくれている本だと思う。うねりとビート。

 

2024/05/06(月)

気圧のせいなのか朝からずっと眠く、気分が上向かない。福尾匠さんの「フィロショピー」の広報用の動画をyoutubeで見る。2時間弱もある。哲学を各々の生活に持ち帰るというテーマは、6月から受講することにしている伊藤潤一郎さんの脱構築の講義内容にも通じている。毎回の講義で感想ペーパーの提出みたいなものもあるらしく(しかも福尾さんが添削してくれるらしい)、一気に受講しようかなという気になった。まんべんなく書かないこと、ひとつのテーマに絞って論じること。インプットしたらアウトプットしなければいけない。この日記もそうだ。

 

2024/05/18(土)

やるせない。落ち込んでいても仕方がないので洗濯して掃除して実家に帰省する準備をする。どうせ一泊しかしないし、持っていく本は最低限にしようと思い『優しい暴力の時代』と『近代美学入門』をカバンに入れる。新幹線使わず在来線乗り継いで名古屋へ。米原-大垣間の車窓に映る山々のあざやかな緑がまぶしい。

 

2024/05/20(月)

阪急と山陽電鉄を乗り継いで兵庫・的形へ。新開地を超えて電車が地上に顔を出すあたりでやっと神戸に来た実感が湧く。ギャラリーまでの道を歩いているとうっすらと潮の香りが漂ってくる。佐貫絢郁さんの展示を見にここまで来た。膠と黒曜石。やわらかいのに力強い筆致。黒色のはずが、庭の木々の緑を反射してときおり深緑色に見える。画材の表面に残る顔料のざらつき具合が、近くでみると海岸の砂浜のようにも見えてくる。
ギャラリーの方に、この前の道をまっすぐ行ったら海ですよ、と教えてもらい歩いて海を見に行く。誰もいない、小さな入江。寄せて返す波はどこまでも静かだ。護岸の上に座って、出町柳で買ったおにぎりをぼーっと食べていたら、もしかしてものすごい場所にきてしまったんじゃないかと、なんだか離人的な感情でいっぱいになった。このままだと永遠に帰れなくなってしまうのではと思い慌てて腰を上げた。

f:id:analog_3:20240614194853j:image
f:id:analog_3:20240614194826j:image
f:id:analog_3:20240614194855j:image

 

2024/06/05(水)

定時で帰れた。嬉しい。20時を前にしても西の空がうっすらと明るく、こんなにも日が延びたのかという静かな驚きがある。フィロショピーのドゥルーズ講義第2回を聞こうとしたが、その前にちゃんと該当箇所の本文を読んだほうがいい気がして『差異と反復』(河出文庫)を開く。

再認の定義は、同じものとしての想定されたひとつの対象に向かって、すべての「認識」能力が一致して働くということである。見られ、触れられ、想起され、想像され、理解される……のは同じ対象である、ということが可能なのである。(p.356)

たった20ページくらい読むのにかなり時間がかかった上に、内容が頭に入ってきた感じがしないが、まあそんなもんかと思う。あと、なんかカントのことむちゃくちゃボロクソに言っててウケた。

 

2024/06/06(木)

帰宅してぼーっと晩ごはんを作って食べていたら気がついたら21時前とかになっている。昨日の勢いでドゥルーズの講義聞こうとしたが、いまいち気分が乗らず、明日に回すことにした。しかし、普通に毎日朝から働いて夜帰った後に勉強とかできる人すごいと思う。自分の「体力」の無さを痛感させられる。

 

2024/06/11(火)

仕事休み。朝から歯医者。通い始めて5.6回目で、初めて先生が雑談してくれた。寡黙で処置がテキパキしてて声が小さい先生が、天気の話を振ってくれた。うれしい。週末は30℃くらいになるらしいですよ、嫌ですね〜、という普通の、でも大事にしたい会話。院内全体がちいかわグッズで装飾されているのはこの先生の趣味だろうか。
歯医者帰りで初めての平安蚤の市へ。出店者も客も想像以上にイケイケな人らばっかりで怯んでしまった。目当てにしてたパスタ用の皿はいいのが見つからず、暑さも相まってどうでもよくなってきて何も買わずに会場を後にする。とにかく暑かった。2軒はしごしてひとり昼飲み。"焼きなす"って冷えてるやつですか?という問いが隣のお客さんから聞こえてきて、ああその考えに至らなかったなと新鮮な気持ちになった。正解は、冷えてるほうの焼きなす。
夜、Nさんを急遽誘って晩御飯。急な誘いに応じてくれる友人のことを大切にしたいと思う。
帰り道、自転車を漕ぎながら「第三者性なきフェアネス」について考えた。そんなものは本当は存在しない、と言い切りたくないのは、ユートピア的言説にしがみつく駄々っ子でしかないのだろうか。関係性などどうでもよく、目の前のあなたがただ幸福であってほしいと思うのは単なる欲望などではない、と思いたかった。

 

2024/06/12(水)

取っててよかった有給。ゆっくり起きて、午前中にやっとドゥルーズ講義2回目を観る。いよいよ本文読解に入ってきてちょっとむつかしい。ドゥルーズ、何かに寄りかかることや何かを権威づけることをとにかく嫌っているな、という印象。悪しき一般化。この前読んだ菊地成孔荘子itの対談が面白かったな、と思い出した。菊地成孔×荘子it『構造と力』対談 「浅田彰さんはスター性と遅効性を併せ持っていた」|Real Sound|リアルサウンド ブック
 昼から出町座で『夜明けのすべて』を観る。2回目。この鼎談記事を読んで、絶対2回目見ようと思っていた。濱口監督の口から「回復能力」というワードが出てくるところが印象的。特別鼎談 三宅唱×濱口竜介×三浦哲哉偶然を構築して、偶然を待つ──『夜明けのすべて』の演出をめぐって | かみのたね  
「おつかれしたー」というセリフの発話に改めて注目して観てみたら、本当に鳥肌たつくらい良くてうわ〜となった。誰かへの目配せ、配慮、優しさ。上映中、ずっとたらたらと涙が流れていた。