最近のこと(2024/09/16)

2024/06/19(水)

夕方、歩きながらスイカバー齧ってる男子高校生を見かけ、なんだかいいものを見たなと思う。気候がほぼ夏。
今の通勤本は『勉強の哲学』(千葉雅也)。平易な語り口で書かれているので、退勤後のぐらぐらの脳でも読みやすい。午後から頭痛の気配がするな、と思っていたが帰る頃にははっきりと頭が痛い。しょうがなく帰りの電車でロキソニンを流し込む。職場の冷房にやられている気がする。
寝る前、坂口恭平。自身の知覚をそのまま書くことのそのスムースさにいつも思わずうなってしまう。ひたすらに素直である、ということなのかもしれない。

やれば、わかる。わかれば次が見えてくる。それだけの人生。そして、半分くらいは失敗する。でも残りの半分は自分がもっとやっていきたいと思い、時には仕事になったりする。
『土になる』(坂口恭平) p.110

 

2024/07/30(火)

脱構築入門第2回の映像を遅れて見る。脱構築における「主体」とは。関係性の網目。あらゆる主体は、自分自身以外と接続されている。寝る前、ブルガリアンスクワットを片足各10回×3セット。筋肉痛の予感。

 

2024/07/31(水)

仕事しながら昨日の脱構築の内容を反復していた。関係性の網目は終わりがなく、外部から眺めることも出来ず、全体を掴むことはできない。じゃあ、千葉雅也のいう「接続過剰」ってどういうことが言われていたのだっけと思って、中途半端に読んで積んだままになっている『動きすぎてはいけない』の再読の機運が高まる。そもそもデリダの「差延」とドゥルーズの「リゾーム」ってどういうものかよく分かっていない。哲学界隈では『動きすぎてはいけない』は『うごきす』と略されるらしい。なんかダサくない?

 

2024/09/08(日)
昼ごはんに小倉知巳レシピの秋刀魚のカレッティエッラをつくる。まず秋刀魚を三枚におろす。鮮度が良くないのか、腹を割くために入れた包丁の先からすぐに溶けた内臓が流れ出してきて慌てる。この感じ、なんだか懐かしいなと思った。院生時代にひたすら動物実験していたときのことを思い出していた。生物の腹壁は案外薄く、その内部にはあらゆる臓器が一切の余白もなく理路整然と詰まっている。つくったパスタはここ最近で一番美味しかった。f:id:analog_3:20240908120701j:image