ありもしない欲望

5月24日(日)

 

9時くらいまで布団の中でだらだらしていた。起きてコーヒーを飲みながら、机の上に飾ってある芍薬の、咲ききった花びらを指の背で撫でると、さわさわとちいさな音を立てる。柔らかく薄い花弁はまるで脆弱な皮膚のようで、壊れないように撫でると相対的に自分の身体の輪郭がはっきりする。開くにつれて強く香るようになってきた独特の匂いはなんだか生姜のそれっぽくもあり、ちょっと面食らう。洗濯と掃除を済ませた。

昼、鯖缶とトマトと茄子とししとうでカレーをつくる。ちょっと辛くなってしまったけれどおいしかった。夏!という感じの味だった。買い物しに街に出ようかなと思ったけれど、街に人がめっちゃ多い、という情報を得たのですんなりやめた。こんなのはおかしいのだけれど、必死で外に出なくてもいい理由を探しているような気がする。頭が痛い気がするとか、曇ってるし雨が降るかも、とか。ちょっと前まで感じていた外に出られないことのストレスはいったい何だったのか。別に自粛要請されてもされなくても、外に出てやりたいことなんて本当はなかったんじゃないのか。これまでと同じようにこれからも、なんとなくありもしない欲望を無理やりひねくり出して時間を潰していくんじゃないか。國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』を引っ張り出してきて、浪費と消費の項を読み再確認。観念を対象にした「消費」には終わりがない。

ベッドで寝ながら『初恋と不倫』をぐいぐい読んだ。何度読んでもそのたびに言葉が刺さる。

諦めても諦めても、諦めてもまだ諦めなきゃいけないことは出てくる。もう十分諦めたかなと思ってもまだ諦めなきゃいけない。そんな人生を送ってきて、それでも真面目に生きてて、朝になるとちゃんと目を覚まして、今日その日一日を諦める。

 

夜、このままじゃだめだ、と思い立ち引っ越しの物件情報を集め始めた。探し始めるとギンギンに目が冴えてきてしまい寝ようと思っても全然だめだった。いい物件はなかなか無い。